Tuesday, July 19, 2011

Chernobyl’s Lingering Scars - チェルノブイリに残る傷跡ー

原発事故から640キロ離れた村に住んでいたマリアのはなし

翻訳完了!SaveChild さん、資料を Share してくださってありがとう!

原文  http://www.nytimes.com/2011/07/12/opinion/12nocera.html?_r=3
 

チェルノブイリに残る傷跡  
    By ジョー    ノシーラ

   奇妙なことだが、25年前に起こった世界最悪の原発事故25周年目は、動物に関する報道で注目された。二つの雑誌、ワイヤード と ハーパーズ が ウクライナのチェルノブイリ周辺の立ち入り禁止区域における動物の繁殖や生活をまとめた長い記事を載せたのだ。動物たちはみんな元気に暮らしているようだ。最近の日本の原発事故の観点からすれば、むしろ、チェルノブイリで被爆された人々に何が起こったか知りたくはないだろう。

   わたしはこういう人を知っている。彼女の名前は マリア ガウロンスカ。30歳で、賢く魅力的な方だ。2004年にポーランドからニューヨークに移り住んできた。彼女と会ったのはたぶん4年前。わたしの婚約者からの紹介だ。彼女はいつもタートルネックの服を着ていた。たとえどんなに暑い日でも。

   マリアの故郷、オルシュティンは、ポーランド北部に位置している。チェルノブイリから640キロ離れた場所だ。1986年の4月、チェルノブイリの原子炉がメルトダウンした時、莫大な量の放射性物質が大気中に放出され、風に乗りウクライナ中、ベラル-シにも飛散した。もちろん、ポーランド北部にも。

   「最初のころは、」マリアは語る。「政府関係者は爆発はあったけど危険なものではないって言ってたの。」 数日中にソビエト連邦はしぶしぶながらその事故を認めた。マリアは、周辺に住むみんなにヨウ素剤が手渡され、屋内に待機するよう指示されたことを覚えている。彼女はその後2週間を自宅で過ごした。

   また、彼女は、村の人々が、この事故の健康的被害をポーランド人が把握するまでは何年かかかるだろう、話しているのを聞いた。そのほか、放射能が甲状腺を破壊することも。だから、ヨウ素剤を採らないといけないのだ。甲状腺が吸収する放射性ヨウ素を最小限にするために。

    予想どおり、オルシュティンでは、ここ四半世紀にわたって、甲状腺障害が爆発的に増えている。マリアは、病院のすべての病棟が、甲状腺の病気の治療に献身を尽くしていると語った。これは大げさに言ってるのではない。甲状腺専門の外科医、アーター ザレウスキーは、1990年前半から、甲状腺手術をする機会が大幅に増えた、と語っている。何人かは甲状腺がんだが、ほとんどの患者さんが甲状腺肥大か、甲状腺がうまく機能しない甲状腺障害だ。

    ザレウスキー先生は、同時にこれらの甲状腺の病気とチェルノブイリの事故との因果関係は科学的に証明されていない、と付け加えた。そのひとつの理由は、ソビエト連邦の頑なな非協力的な姿勢と、もうひとつは、ランセット 誌が指摘するところの、"considerable logistical challenges-深刻な事実統合性困難(事件当初、事実を調べなかったために、現在聞き取り調査をしても、記憶があいまいだったりして本当のことが分からない。連邦各国の基本言語が違うことで、真実の把握がかなり難しい)"が挙げられる。ポーランドのに起こっている甲状腺障害とチェルノブイリを結び付けたであろう、ソビエト連邦による、追跡および疫学的調査は、決して始められる事はなかった。

   唯一行われた研究は、癌についてだった。ランセット誌によると、ベラルーシとウクライナ地域に住む住民に起こった小児白血病と乳がんの増加は、チェルノブイリが関係している可能性があるということだが、なにぶん、研究方法が確立されておらず、それらの文献自体が信用性に欠ける。

   しかしながら、わたしがマリアの母親のバーバラにメールした時、彼女から「わたしは、チェルノブイリのせいで、周辺住民の甲状腺障害が増えたと思っている」と確信に満ちた返事が返ってきた。自身が学者である彼女は、この事はふつうのポーランド市民が感じていることだ、と述べた。彼女自身も、事故の十年後に甲状腺の手術を受けることを余儀なくされた。彼女の古い友人は、甲状腺腫摘出術を受けた。マリアによると、彼女の父親だけが唯一、家族の中で甲状腺障害が起こっていない人だという。

   約5年前、ついにマリアにも順番が回ってきた。甲状腺がだんだんと大きくなってきて気管支を圧迫し、ついには、ある一定の体位をとると呼吸困難に陥ってしまうようになったのだ。見た目の悪いできものが、彼女がいつもタートルネックを着ていた原因だったのだ。ニューヨークの甲状腺専門医は、彼女に、こんな大きな腫隆を今まだ見たことがない、といい、手術によって声帯が傷つくかもしれないと述べた。そのため、マリアは、ポーランドに帰って、故郷で手術を受けることに決めた。

   チェルノブイリのケースと同様に、福島原発の事故が、いかに周辺住民の健康に影響を与えているかが分かるには、数年かかるだろう。いくら少しの放射能漏れであっても、その放射能は水の中や農作物に混入する。これらの事は、わたしたち一人ひとりにどのように原発を扱うかを考えさせてくれる。危険をはらんだものの存在は何かをおかしくする。原発の存在自体が、クリーンエナジー成功の可能性を心待ちにしてくれると言えるだろう。常にわたしたちの心に、福島原発やチェルノブイリのような事故があったと心に留めて置くことが大切だ。簡単に解決できる問題などこの世に存在しない。

    マリアに関して言えば、事はよく運んだ。担当のザレウスキー先生は、彼女の大きな甲状腺を見ても、たじろがなかった。手術は成功した。声帯も大丈夫だった。彼女は近年なかったほど元気に暮らしている。

   マリアは、彼女がオルシュティンにいる間、古い友人たちを訪ねて回った。友人たちは、マリアが帰郷した理由を聞くや否や、「彼らはみんな笑いながら、彼ら自身の手術による傷跡を見せてくれたわ」

   彼女がニューヨークに帰ってきてまもなく、わたしが彼女に会った時に、彼女の首に小さな傷跡があるのが目に留まった。もうタートルネックを着ていなかった。



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